日曜礼拝に思うこと
私は休みの午前中はうだうだしがちです。
そこで、近所にあった教会の日曜礼拝におじゃましています。
今のところ特定の宗教には、入る予定がないものの、いいことを聞くと実践したくなります。
静かな午前中を過ごすことができるので、気にいっています。
信者でなくとも数年通っている方もいるようで、安心しています。
時に
許す
という事が難しいことがあります。
感情のコントロールが難しいことも。
このことは、きっと意味があったのだと思えるようになるには、自分にとっての神様が決めた事だからと天に委ねるのが1番なのかもしれません。
タイのお友達は、仏教徒で毎晩お経を唱えていて
その理由は「唱えている間は悪いことができないから。」と言っていました。
ミャンマーのお友達は、頭を丸めたことがあるらしく「お釈迦様の子どもになることは、大事。」と言っていました。
日曜礼拝であかしをしていた方は、闘病中の時、「全て神様に委ねたら、精神的に安定することができた。」と言っていました。
大きな存在に自分のことをお任せすることで、思考のミニマム化がはかれるのかもしれません。